インタビュー

信長の“狂気”の衝撃で
観客を『首』の世界に
『首』には、北野映画のすべてのエッセンスが凝縮されているような印象を受けました。
『首』の脚本は何十年も前にだいたいは書き上げていたんだけど、ほかの映画を撮っているときに、時代劇でこのくだりをやるとしたらこんな感じかな?って考えるようになって。いつの間にか、細かいネタが溜まっていった感じはあるね。
「本能寺の変」という日本人なら誰もが知っている設定で、監督は何を描きたかったのでしょうか?
「本能寺の変」には実は80ぐらいの説があるんだよね。今回は、その中から羽柴秀吉説をもってきて。明智光秀を使って徳川家康を殺そうとした織田信長が、光秀の裏切りに遭う。光秀を動かして天下をとろうとしたのは実は秀吉だった! という構図をちょっと複雑にしたんだけど、日本人の誰もが知っているこの人物の関係性は分かりやすいし、面白いんだよね。しかも、信長やその跡目を狙うほかの武将は敵の武将の首に固執するけれど、百姓上がりの秀吉は首なんかどうでもいい。その違いを描くのも今回のテーマだったね。
武将だけでなく、百姓や元忍者の芸人など、身分や立場の違うさまざまな人間が絡んでくるのもこの作品ならではですね。
信長の跡目争いだけじゃ、つまらないからね。それで信長と光秀、荒木村重(遠藤憲一)の三角関係のエピソードなんかも入れちゃったんだけど、ひとつの物語にいろんなものを混ぜていく展開の仕方はクエンティン・タランティーノに似ている。タランティーノはセリフを作るのが上手くて、俺はセリフが嫌いだからそこは違うけれど、映画作りの手法には近いものを感じるね。
多くの要素が詰め込まれた本作ですが、ほとんどの観客が冒頭のシーンで信長の“狂気”に圧倒されます。
歴史を調べてみると、信長はやっぱり“狂気”の人物。実は何者でもない普通の男だったりもするんだけど、権力者の狂気を孕んでいるから、平気で人を殺す。映画の構成的にも冒頭にショッキングなシーンを持ってこないと観客を引っ張っていけないと思ったので、その信長の“狂気”とそんな主君に仕えながら、したたかに振る舞っている奴を最初に見せようと思ったんだよ。
気づいたら
羽柴秀吉になっていた
『アウトレイジ ビヨンド』(12)ではボコボコにされていた加瀬亮さんが、凶暴な信長を全力で体現していたのにも驚きました。
信長の肖像画は数枚しか残っていないんだけど、それを見ると小っちゃくて、萬屋錦之助さんや高橋英樹さんが演じた信長とは全然違う。もっとか細くて、内にシュンと籠った感じの奴なんだけど、狂っちゃってるから手がつけられない。そんな完全にあっち側の世界に行っちゃった人間を北野組の役者でやれるのは誰だ?って考えたときに、ちょうどピッタリだったのが加瀬くんだったんだよ(笑)。
信長に「ハゲ」「たわけ」って罵倒される光秀を演じた西島秀俊さんも意表をつくキャスティングです。
加瀬くんが信長に決まって、じゃあ、明智は誰だ?ってなったときに西島くんしかいないと思って。実際、芝居が好きな彼は、酷い仕打ちを受けるあの可哀想な光秀をよくやってくれたよね。西島くんはアクションも上手いから、信長に蹴り飛ばされる安土城のシーンなどでは“大丈夫かな?”ってこっちが心配するぐらい、マジで吹っ飛んでいたよ。
信長の“狂気”やいま言われた光秀の吹っ飛ぶシーンなどを撮るときは、監督から「もっと気持ち悪く!」「もっと豪快に!」といった指示が飛ぶんですか?
そのあたりはリハーサルのときに終わっているから、現場では誰も俺の言うことなんか聞いてなくて、みんな勝手な判断でやっている。でも、今回はそれがすべて当たりだったね。(安国寺恵瓊に扮した)六平直政さんなんか、やり過ぎだよ!って思うぐらいインパクトのある芝居だったけれど、俺が思い描いていた通りに動いてくれたし、(黒田官兵衛を演じた)浅野(忠信)くんもやっぱり芝居が上手いから、俺が細かく言うことは何もなかったね。
秀吉は最初からご自身で演じるつもりだったんですか?
本当は監督だけでいいのになって思うんだけど、気づいたら、俺の演じた秀吉が主人公みたいな立ち位置になっちゃってて。大した芝居もしていないのに、カンヌやアルメリアの映画祭で外国人が笑っていたから、演技がいい加減でも彼らには分かんないかもしれないね(笑)。まあ、そんな感じで自分の理想は監督だけど、やれるうちは役者もやらなきゃなと思っているよ。
呆気ない“死”や狂気を
描いてきた原動力
先ほど言われた、愛憎劇が大きく横たわっているところがほかの戦国モノとは違う本作の大きな特徴ですが、そこに対する監督のこだわりは?
戦国時代は武将が合戦に百姓を連れていくし、彼らが身代わりになって死んでいたりもするので、男同士の恋愛や性行為も当たり前のようにあったと思っていて。それに、大奥みたいなシチュエーションを作る暇もなかったから、男同士の愛憎劇にしたっていうのはあるよね。でも、そこもカンヌでは思った以上に反応がよくて。戦国時代という形ではあるけれど、描いているのは欲望や裏切りという、現代と変わらないもの。「武士道」なんていうヘンな理屈を言わず、男の狙う出世と名誉、男同士の愛憎劇をストレートに描いたからウケたのかもしれないね。
「本能寺の変」は、そういった意味でも、監督が描きたいものが表現できる格好の題材だったわけですね。
「本能寺の変」を描いた作品には、苛めに耐えきれなくなった光秀が信長を殺したという内容のものが多いけれど、おいらはそうじゃねえんじゃないかと思っていて。信長は狂気で家臣やほかの武将を押さえつけていただけだから、宙に浮いていたし、誰もが殺すチャンスを窺っていたんじゃないか? そこの、あまり描かれないところをやらなきゃいけないなっていう想いは最初からあったよね。
北野映画では常に“死”の描写が鮮烈です。『ソナチネ』(93)では沖縄で無邪気に遊ぶヤクザの組長・村川(ビートたけし)とその手下に死が迫っていることを渇いたタッチで描き、『アウトレイジ 最終章』(17)では元組長の大友(ビートたけし)が拳銃自殺をするシーンが衝撃的でした。『首』でも織田信長は最初から死の影を纏っていて、多くの登場人物が壮絶な死を遂げますが、今回の“死”の表現には監督のどんな想いが?
武士に生まれたのか、百姓として生まれたのか? 最初に話したように、その人物の生まれや意識によって死との向き合い方は全然違う。清水宗治に代表される様式美の「武士道」に則った死の一方に、首がなければ死んだことにならないとする信長や光秀たちの世界と、首なんかどうでもいいと思っている百姓上がりの秀吉の世界がある。「本能寺の変」というひとつの事件の中で、そういった違った視点や意識、物の考え方が見えてくると面白いのかなと思っていたね。
これまでの作品と同じように、今回も“死”を呆気なく扱っています。
俺の映画が人をパーンと簡単に殺しちゃうのは、アメリカの海兵隊がベトコン(南ベトナム解放民族戦線)を撃ち殺す映像を見たときのショックがスゴかったからだろうね。あれを見たときに、人が人をこんなに簡単に殺すのってありかよ?って思ったし、生きている人間が考える“死”と実際には呆気ない“死”の違いを痛感して。それもあって、初期の作品から“死”をドラマにしたり、劇場型にはしてこなかった。生死の問題はそれだけでものスゴいことだから、飾り立てない。映画やテレビがよくやる大袈裟な“死”はその痛さや残酷さをかえって疎外していると思っていたので、ほかのどうでもいいシーンはこってりやって、“死”は呆気なく描く。そこは昔からずっと変わっていないね。
そんな北野監督を映画作りに向かわせる原動力は何ですか?
映画は100年ちょっとの歴史の中であまり変化していないけれど、おいらは絵画の世界で写実的な絵が抽象画になる動きがあったり、キュビズム(前衛美術運動)が生まれたように、映画もそっちの方向にじゃんじゃん転がっていってもいいんじゃないかなと思っていて。『気狂いピエロ』(65)をあの時代に発表して、映画の作り方を一新させたジャン=リュック・ゴダールみたいなひっくり返し方で、映画はもっともっと進化しなきゃおかしい。それに俺自身、こうでなきゃいけないっていう既存の常識をぶっ壊してスゴい映画を作りたいと思っているんでね。ピカソの絵なんか見ちゃうと、風景画や写実的な絵の何がいいんだ?って思うよね。それと同じ感覚になるような映画を作りたいという想いがずっと続いているんだよ。
